Search this site
石垣島で乗馬体験ができる、ホースライディングスポット波ん馬のブログ。
トエルブログからお引越しした、沖縄馬事文化などについてのちょっぴり専門的な内容のブログです。

HPはこちら→
http://naminma.com
馬を飼う前に知ってほしいこと。
とぉ〜〜ってもご無沙汰しています(^^;)今年の初投稿が早くも3月になってしました。
こんな半年に1度ぐらいしか更新しないブログを、どなたか見てくださっているといいのですが・・・(笑)

毎年1月に、平得の種取祭のレポートから始まるこのブログですが、
今年は年末に身内で不幸があり不参加だったため、レポート投稿もなくそのままきてしまいました。

さて、そんなさんざん勿体ぶった今年の一発目の投稿ですが、ずっと書きたかったテーマを書いてみたいと思います。


「馬を飼いたい」
とっても素敵な夢ですよね。

私も、牧場を始めたときに、馬が自分で飼えるぐらい身近な存在になったらいいなぁ、
そしてそういう人たちの手助けができるようになったらいいなぁ、と考えていました。
※ちなみに今日の「馬を飼う」は、乗馬クラブに預けて管理してもらうスタイルではなく、個人で飼う場合のお話です。


石垣でも、実際に馬を飼っている人がちらほらいます。
馬との生活は試行錯誤の日々ですが、その分喜びも大きいものです。

ですが、それなりに大きくて力も強く、飼うのにもそれなりのスペースが求められる馬を飼うには、
ある程度の知識も必要ですね。
どんな動物でもそうですが、飼うということが人間にとってだけの楽しみであってはいけません。
その動物の一生をよく考え、最後まできちんと面倒を見てあげることができるかどうかを、よく考えなければいけません。

先日仕事中に、唐突にこんな電話がかかってきたそうです。
「宮古島で宮古馬を飼ってるんですけど、飼い方がよくわからなくて。飼い方を教えてもらえませんか?」

宮古馬は昨年ニュースでも話題になった通りですが、
この方のお名前も、連絡先もわからないので、宮古馬保存会の関係の方なのかどうか、詳しいことはわかりません。

馬を飼う方法を、正しく学びたい、という意思があることは、良い事です。
ですが、問題が1つ、飼いはじめてから学ぶのは、順序が違います。
まずは、飼う前にきちんと学ぶ、これが当たり前ではないでしょうか?
 
また一つだけはっきりしていることは、
馬を飼う方法は、電話で聞いて教えてもらえるような、簡単なことではない、ということです。
馬を飼うのは、犬や猫を飼うのとはわけがちがいます。
いろんな本も売っていますが、本で学べることも、実際に必要な情報のほんのごく一部でしかありません。
馬を飼うには、それ相応の経験が必要です。

もしこの方が、電話で馬の飼い方を(しかも私たちの忙しい仕事中に、です!)教えてもらえると考えているなら、
馬を飼うことについて、もう少し真剣に考えなくてはいけないでしょう。

馬を飼いたいという方がそういう方ばかりではないとは思いますが、
少なくとも、どの程度の覚悟を持って馬を飼ったらいいのかを、今日はこの記事でご説明していきたいと思います。


波ん馬には、ペットだった馬を飼い続けることができなくなって、個人の馬主さんから購入した馬が3頭います。
どの飼い主さんも、年齢の高齢化や健康上の理由により、体力的に馬の世話をできなくなってきたというのが理由です。

この3頭の馬は、幸運にも私たちのような牧場の引き取り先が見つかりましたが、
どんな馬でもこんな具合に、引き取り手が見つかるわけではありません。

馬は一般的に、大事に飼養すれば25〜30歳ぐらいまで生きます。
それに対し、人間が馬1頭を全て自分で面倒を見ることが可能な年齢は、だいたい60歳前後まででしょう。
(少なくともどんなに体力に自信がある人でも、そのぐらいの年齢になったら自分の身に何かがあるかもしれないと考えるべきです)

そのぐらい、馬のお世話というのは、大変体力のいることなのです。
そうなると、単純計算で、馬を一生自分で飼養したいと思ったら、
遅くても30歳〜35歳ぐらいまでには飼い始めなければいけない、ということになります。

では、もうその年齢を過ぎてしまっている場合はどうしたらいいのでしょうか?
方法は大きく2つあります。

1.介護施設に入所させるのと同様、馬を終生お世話してくれる乗馬クラブや養老牧場というところに入れて、
馬のお世話代を支払ってずっと面倒を見てもらう。

2.老後も乗馬クラブなどで初心者などのレッスンに使えるぐらいのしっかりとした訓練や調教を入れ、乗馬施設や練習馬を飼いたい人に譲る。

1は、お金に余裕がある人は、最も安心な方法です。
ただし、預けられる乗馬クラブや養老牧場というのはどこにでもあるものではありませんし、毎月の馬の食事と世話代というのは、なかなかの金額ですので、だれでも選択できる方法ではないでしょう。

2は、馬の訓練や管理スキルがある人にとっては良い方法です。
ですがこれもやはり、ニーズが上手くマッチしないと、スムーズにはいきません。
もし引き取り手が見つかっても、近くでなければどうやって輸送するか、などの様々な問題が出てきます。

これだけ考えても、まず馬を飼うのには、それなりの知識やスキル、お金などが必要になってくるということは理解していただけるでしょう。


栄養管理や調教について、馬を飼いながら馬の管理を学べばよい、と考えている人は多いのですが、実際はそう簡単ではありません。

うちは犬、猫、ブタ、馬を飼っていますが、馬の管理の繊細さは、ほかの動物と比になりません。
草食動物は、肉食動物や雑食動物に比べて、非常に繊細なバランスで生きています。
ほんの少し太らせすぎただけで足を悪くしたり、重大な病気を引き起こしたりしやすく、
しかも一度健康上のトラブルが起こると治りにくく、ちょっとしたことでも死因に繋がるのが特徴です。
さらに、馬の獣医さんは全国にいると考えている人はとっても多いのですが
(私もこの仕事をするまでは、どこにでもいるものだと思っていました!)
馬の専門医は非常に少なく、いても実際には獣医さんにできる治療は極めて限られているのが現状です。

もし、治療の可能な獣医師さんがいて、必要な道具やスキルが全部そろっていたとしても、その治療にかかる費用がどの程度か、
さらにその治療によって回復する見込みと、逆に治療によって死んでしまうリスクなど、いろいろな要素が関係するため、
基本、馬に関しては「怪我や病気になったら治療する方法はない」と考えて、徹底して予防管理をすることが大切です。

馬の栄養管理の基本は馬の体重管理ですが、
もともと草しか食べていない馬は、素人目には太った、痩せたの変化が判断しにくく、
目に見えて丸々としたときにはすでにかなりの太りすぎの状態で、
実際はもっと微妙な変化の時点で、気づいて調整しなければいけません。

よほど観察力のある人でない限り、馬の馬格を的確に見極める目を身につけるのには、1年以上はかかるでしょう。
(私はおそらく、毎日馬を見続けても2年はかかったのではないかと思います)

また、訓練も非常に大切になってきます。
馬の訓練は基本的には若いうちに施すのがベストですが、
個人で飼っている場合、馬の若いうちは飼い主も経験が浅い場合が多く、
結果として一番きちんと訓練をしなければいけない大事な時期に、きちんとした訓練がなされていないというケースがあります。

訓練は、乗馬の訓練ももちろんそうですが、一番大事なのは人間との接し方です。
ここがしっかりと教えられていない馬は、行く先々で会う人に迷惑をかけてしまうからです。

そして次に大事なのは、様々な人工物に馴らす「馴致」と言われる訓練です。
例えば、馬運トラックに乗る練習、道路を歩く練習、グレーチング(側溝の金属のフタ)の上を通る練習、水たまりの上を歩く練習、乗馬の馬具を付ける練習、足を挙げる練習、水に馴らす練習、体のいろいろな部分を触られる練習、などです。

もし自分にそのような訓練をする十分なスキルがないのであれば、熟練した人に預けて委託し、訓練を受けさせるのが賢明です。
ですが、いくら馬を訓練したからといって、飼い主がそれ相応の扱いをしなければ、
馬は学んだことを発揮しませんので、人間も可能な限り早く、正しい馬の扱いを学ばなくてはいけません。
(全て、馬を飼う前に、です!)
可能であれば、馬と一緒に人間もトレーニングを受けるのが望ましいでしょう。

調教は、一度教えても、その後も飼い主がちゃんとそれを維持する努力をしなければ、馬はまた新たな学習によって違う行動をするようになるかもしれません。
そうなったとき、自分で「再調教」できなければ、私たちは再度馬をトレーナーに預けなければいけなくなります。

これを繰り返していると、何か起こるかというと、
馬は私たちの馬ではなく、そのトレーナーの馬(馬がリーダーとして見ているのは、私たちではなくトレーナー)になるということです。
実際、ドッグトレーナーをしている人の話によると、犬などで訓練士に犬を預ける人には、そういう状態に陥っている人が多いそうです。

ですが、馬を飼うのであれば、馬から見たときに、私たちが単なるご飯をくれるだけのお世話係ではなく、
この人と一緒にいれば安心だ、この人の言うことを聞いていれば幸せだ、と馬に感じてもらえるような関係をぜひ築いてほしいものです。


馬について、ふだんのおとなしい側面だけを愛し、そうでない一時的な頑固な面、神経質な面、臆病な面などを愛せない人もいます。
ですが、私たちは馬を飼う時点で、その馬の家族なのです。
私たちは、自分の家族が自分の美しくない側面も知り、愛してくれるからこそ、家族を信頼できるのではないでしょうか。

ですが、愛することと、より良い行動を教えることは、両立しなければいけません。
たとえば、馬の臆病さを受け入れ、認めてあげると同時に、
試練に勇敢に立ち向かったときの達成感とそれによって広がる世界を教えてあげることが必要です。
その過程を一緒に乗り越えると、私たちと馬との間には、なんとも言えない連帯感が生まれます。
「ともに困難を乗り越えた」という充実感を味わっているのはわたしたち人間の側だけではないことは、いずれすぐにわかるでしょう。

このように、馬を本当の意味で飼うことの先には、ほかでは味わえない感動が待っています。
ですが、その前にわたしたちは、馬たちに不必要な怪我や病気にさせないための経験と知識、自分や周囲の人に危害を加えないための訓練技術、
馬にストレスを与えず安心して暮らせるリーダーシップとコミュニケーションを、ある程度は学んでからスタートするべきです。

残念ながら、近年馬については飼いながら勉強すればいい、という考えで飼育し始める人が急増しています。
もちろん、飼い始めてから学ぶこともたくさんあり、その中で失敗や挫折もあるでしょう。
ですが、自分の勉強不足で自分の愛馬が苦しい目に遭ったとき、それを助けられないというのは本当につらく、苦しいことです。

馬について学ぶことは、当初想像したものの数十倍にのぼり、おそらく一生分あります。
ごく基本的なことを一通り学んだだけでも、まだまだその先には長い道のりが待っています。
これは馬に限ったことではありません。

その道のりを本当に一緒に歩んでいく決意をした人だけが、動物を飼う資格があると、私は考えています。

ちなみにここまでの話を読んで、「それでは、馬を飼うにはまずお金が必要だな」と感じた人も多いかもしれません。
確かにお金もそれなりにはかかりますが、お金よりもはるかにかかるのは、時間と労力です。
次回は、具体的にどういうことを考えたらいいのか、実際に飼うとなったときの注意点を書いてみたいと思います!
(ちなみに、忙しい子育ての合間のため、次回がいつになるかお約束できずすみません^^; 気長にお待ちくださいね〜)

 
posted by ちか | 23:14 | 波ん馬コラム | comments(0) | trackbacks(0) |
自然との折り合い。

ちょっとひさびさの更新になりました!

実は私事で8月に長男を出産し、慣れない育児で大混乱のなか、自宅で事務や予約受付などの業務もやっていたので、
怒涛の勢いで夏が過ぎています(^^;)
 
現在スタッフの休暇中で、私も産休のため営業ができないため長期休業となっており、
その間多少主人に家事や育児を手伝ってもらうことができて少し時間にゆとりができたので、ひさびさに投稿してみたいと思います。
 
そんな休業中に本島を台風24号が直撃、続けて発生した25号は大きな被害なく去ってくれました。
今年は例年にない災害の大きさ、その被害の酷さに、不安が尽きないですね。
私たち人間はみな、自然の前では、嫌でも謙虚にならざるを得ません。

私は沖縄に住んで15年になりますが、
沖縄の人は、災害と戦うのではなく、災害と折り合いをつけて生きてきたという印象を受けます。
どうしたら最小限の被害で済むか、できるだけわたしたちがエネルギーを消耗しないで済む方法をあらかじめ考えます。
そして、自然相手に無理をしたり、自然の力を軽視したりは決してしません。
わたしたち人間の生活を中心として考えれば、台風はいつも島をめちゃめちゃにしていく厄介な災害ですが、
それでも台風は海水温を下げたり樹木の過密な自生を抑制してくれたりと、
自然の中で見れば、あるべきバランスの中に存在している1つの現象にすぎず、
わたしたちはその中で、自然の一部としてそのサイクルの中に生きさせてもらっているだけだからです。
 
それは、沖縄の樹木を見ても同様です。
上に高く伸びると風に弱くなるため、多くの樹木は背を低く横に広がって伸び、
密集してお互いを支えているように見えます。
そして、幹は水分が多く弾力があり、風にあおられても柔らかく受け流せるようなものが多くあります。
わたしたちはひたすら自然に適応していくだけであり、それに逆らっても上手くいくことはありません。

私もそうだったのですが、台風や自然災害に慣れていない本州の人などを見ると、
災害を前にしても、責任感からなのか、あるべき自分を変えずに保たなければいけない、
自分の信念を曲げたり変えることに慣れていない印象を受けます。
 
会社は早期に休業することをためらい、社員は電車が動く限り仕事に行こうとする。
避難することをためらい、自分の家や家財を置いて逃げることができない。

私たちは自然と動物を相手に仕事をしてきて、
人間は自然や動物を相手には、自分を変え、折り合いをつけていかなければいけないということを常に実感してきました。
どんなにお客様が乗馬を体験されたいといっても、自然と動物がYesと言わないときは、仕事をすることはできない。

今年でこそ、これだけ大災害が続き、全国的に災害への慎重さや警戒意識が高くなりましたが、
去年までは、台風の暴風雨の日でさえ、当日に「乗馬をさせてくれないか」と電話してくるお客様が絶えませんでした。
海のレジャーなどが全て中止になりほかに何もすることがなく、
せっかくの旅行で何か体験しなければ損をしたような気持ちになるのはわかりますが、
身の安全が心配されるような天気の日でも野外でのリスクのある体験をしようとするのは、
自然の力を軽視していると言わざるをえません。

石垣島は、新空港ができたことによって一時観光客数が急増、ホテルは次から次への増改築がされ、
さらに外国人観光客の増加もかさなり、今、この急激な変化の中で、観光の在り方が非常に問われています。
基本的に、私たちがこの仕事を始めてから、私たちはずっと良いお客様に恵まれてきました。
のんびりとした石垣島らしさ、島の自然を求めて訪れ、普段は何かとストレスに囲まれながら生活していても、
ここに来てほっと穏やかになり、終始笑顔で楽しんで行ってくださる方が大半です。

でも時には、自分の思う通りにいかないと、怒ってクレームをつけるお客様もいたりしました。
そのような要求に、最初の頃は何が何でもお客様の要望に応えなくては、という強迫に近い気持ちになったりもしましたが、
自然の中で生きる馬や動物たちの姿を見ていると、
人間はなんて自分勝手なんだろう、この地球で自分の思うようにいくことなんてほとんど存在しないのに・・・と考えることがあります。
 
乗馬においても、「忍耐」を必要とされる場面は多くあります。
馬のトレーナーの多くも、馬との関係を築くのには「無限の忍耐」が必要であると教えています。
なので、些細なことに忍耐ができないお客様、自然や動物を相手に謙虚になることのできないお客様は、
私たちはご予約をお受けすることはできません。
馬のように大きな生き物を相手にしたとき、人間が自分の要求を無理に押し付けることがどれだけ危険か、
私たちはよく知っているからです。

波ん馬では、「動物、人、自然」の3つがお互いに尊重して共存できる働き方を目指しています。
そして波ん馬を利用されるお客様も、それを理解いただかなくてはいけません。
私はスタッフによく、「お客様、馬、 スタッフ、だれか1人だけが我慢しなければいけない働き方は良くない。でも、みんなが少しずつ我慢すれば、みんな気持ちよく過ごせる」と話しています。
お客様は大切ですが、神様ではありませんし、馬やスタッフも必要な時は少し無理もしますが、仕事が苦痛に感じるほど無理をするのは、良いとは言えません。

自然豊かな石垣島を訪れる旅行者の皆様には、ぜひそういう譲り合いや思いやりの気持ちを体験して、
心豊かに過ごして帰ってほしいなと願うばかりです。
そうすれば、旅行が台風に見舞われても、強風で飛行機が遅れたり、海が荒れていて海で遊べなくても、
それも自然の力の1つだと受け止めて、気持ちを切り替えて楽しく過ごす方法を見つけられるかもしれませんね(^-^)

というわけで、今日は自然と動物への向き合い方について考えたことを書いてみました★
posted by ちか | 10:59 | 波ん馬コラム | comments(0) | trackbacks(0) |
スペースと境界。

さて、これまでの記事で、馬とのより親密で安心感のある平和な関係を保つには、
しっかりとした上下関係に基づいて、人間がルールを示してあげることが必要である、ということをお話してきました。
今回は、具体的に例えばどんなルールをどうやって示したらいいのか、をお話してみたいと思います。

「馬にしっかりと人間に従うことを教えなければいけない」と言うと、
とかく強気に出たり、強硬な態度に出ることを連想する人がいますが、ルールを示すというのはそういうことではありません
きちんとした、誰が見てもわかりやすい、一貫したルールを作って、守ってくれるまで根気よく伝える、ということです。

人間でも、部下や自分の子供に対してころころとルールを変える人がいますが、こういう人に従うのは容易ではありません。
気分次第で毎日言っていることが変わったり、今日と昨日では、要求されるレベルが違ったり、といったことは、
従う側にストレスを与え、従う意欲を失わせる、大きな原因の1つです。

しっかりとしたルールは、馬に乗っている最中ももちろん示していかなくてはいけないのですが、
今日はもっと基本的な、馬に乗る以前の触れ合い方に限定して、説明していきます。

馬に乗る前の触れ合い方は、その後の私たちと馬との関係性を全て決めるものです。
ここがしっかりと築かれていない場合、乗ったときに馬が言うことを聞いてくれることは、まずないと考えていいです。

「そうなの?でも私は今までそんなことは意識したことがなかったけど、レッスン中はある程度私の言うことを聞いてくれているけど」
そう思う人も中にはいるでしょう。
ですが、残念ながらこれは多くの場合錯覚です。
なぜなら、そのパドックには多くの場合、インストラクターがいるはずだからです。
もし馬が言うことを聞きたくないなぁと感じることがあったとしても、インストラクターがその空間でリーダーを務めているので、
多くの場合馬はインストラクターの指示に耳を傾けているからです。
試しに、インストラクターが完全に馬から見えないところに姿を隠してもらうと、とたんに言うことを聞かなくなる馬もいます。

私もスタッフや実習生を教えるレッスンの際、できるだけ自分が馬場内に入らないようにしたり、私が遠く離れて馬に気づかれないよう、できるだけ練習生 対 馬 の関係に影響を与えないよう気を付けながら指導したりします。
あくまで、練習生自身が馬のリーダーになることを学ばなくてはいけないからです。

この点で、最初の触れ合いをより深めるための、地上でのより親密なコミュニケーション(グラウンドワーク、と呼ばれたりします)は大変有効です。
まずは引き手をつけて、一緒に息をあわせ、歩いたり、止まったりするところから始めます。

このとき、まず馬に最初に接触する段階から強く意識してほしいのが、「スペース」です。
私たちも、人間同士コミュニケーションを取るときに、通常は「これ以上は近づいてほしくない」と感じる、最低限の距離感というのがあると思いますが、馬にそのスペースを示すのです。
「私は馬との距離だったらゼロセンチでもいい」という方もいるとは思うのですが、それはやはり安全ではありません。
一般的には、最低でも70〜50cmぐらい、軽く手を伸ばせば届く程度、
自分と馬との間にギリギリ人間がもう一人立てるぐらいの距離が理想でしょう。

このスペースを、私たちがいいよ、というまでは侵さないように馬に要求します。
人懐こい馬が自分から顔を寄せてきてくれるのは大変愛らしく、こちらも大いに歓迎してあげたいところですが、
そこは最初ぐっとこらえましょう。
馬が50cm以内のスペースに入ってきたら、「まだその距離を勝手に詰めてはいけません」と、迅速に拒絶の反応をします。
例えば手をかざしてNo,というジェスチャーをしてもいいですし、「ダメ」と言葉に発してもいいですし、
軽く振り払う仕草をしても結構ですが、いずれにしても全身を使って入ってはいけない、ということを表現し、アピールします。
一度で理解してくれない馬には、私たちの意思表示が弱すぎるかもしれないのであきらめずに何度も伝えましょう。
またそのような馬には、通常よりも少し広めにスペースを主張するのも効果的です。

この際、特に気をつけなければいけないのは、「私たちのほうが後ずさりしてはいけない」ということです。
後ろに後退することは、自分が相手に対しスペースを譲ったということであり、
それはつまり、動物同士の言葉で「あなたのほうが私より優位です」という意味です。
あくまで馬に後退することを要求し、自分が下がることのないよう気をつけましょう。
なかなか距離を保ってくれない馬には、押し倒されてしまうと危ないので、
短いロープなどを持って、ロープを軽く振ってスペースを空けるよう主張するのが安全です。
歩くときも、止まるときも、基本常にこのスペースを保つよう要求します。

この方法は、馬との関係を知り尽くしたトレーナーはみな、ほとんど実践している基本中の基本です。
(上手くなると、リードを使わずに丸馬場などの限られたスペースで実施します)
しっかりと自分のスペースを尊重することを理解してくれた馬に対しては、
「私たち人間がOKと言っているときだけ」ゼロセンチの距離でそばにいることを許してあげることもできます。

「でも、それって一貫性のない態度だと思われるのでは?」と思うかもしれませんが、
大切なのは、それをいいか、悪いか判断し、許可する権利があくまでも人間側にある、という点です。

馬同士においては、どこまで距離を保つべきか、どこまで近づいていいのかを決める権利が、どちらの馬にあるのか、が重要です。
放牧中の馬を観察するときにこの原則を意識しながら眺めると、誰が上で誰が下なのか、一目瞭然です。
これがリーダーシップや上下関係と言われるものの本質です。

私たちが職場で働くとき、上司はなぜ上司なのか?
それは、この日にどの仕事をするのか、何かあったときにどう対処したらいいのか、万一のときの責任は誰がとるのか、
こういった責任を担い、どうすべきか毎日の行動を決めているから上司なのであって、
ただ強気にモノを言ったり、頑固に自分の主張をするからではありません。


ですから、上司だって時には部下の言うことを聞き入れて従うこともありますが、

意見を取り入れるかどうかは、やはり上司が決めているのです。

このようにもし一時的に上司が部下の意見に従ったからといって、それによってリーダーシップが崩れるわけではありません。

私たちも、馬に対してリーダーシップを取っているからといって、一切馬の要求を訊いてはダメだということではありません。

むしろ、必要であると判断したときは柔軟に耳を傾けてくれる上司のほうが、より強いリーダーシップを保つことができます。

同様にして、「スペース」の次に示してあげてほしいのが、「境界=ボーダーライン」です。
これは、物理的な境界線もありますが、精神的な境界線もあります。

物理的な境界線とは、例えば、「引き馬の最中は私より前に出ないこと」という目に見えないラインを引き、
そこから馬が出ようとしたら、リードで注意を喚起します。
ほかにも、馬房から出るときに、必ず人間が先に出たあとに、続いて外に出ることを許す、といったものもこれに含まれます。

精神的な境界線とは、「私がリードをつけたらトレーニングの時間ですよ、ここからはもうリードを外すまで、道草は禁止です」というような、緊張感やルールを作ることです。
馬装している最中は、馬装している人にむやみにイタズラをしない、などもこの境界線に含まれます。
つまり、オンとオフの状態を作り、オンのときは静かに私たちの指示を待ち、オフになったら自由にしていい、というようなルールを特定のシチュエーションによって明確に決めておくということです。

このようなルールは、案外決めた人間のほうがうっかり忘れてしまうことが多々ありますので、
慣れないうちは忘れないように、人間のために簡単なルールブックを作ってもいいかもしれません。

女性は、「リーダーになったことがないし、リーダーシップというものがどういうものか、イメージができない」という人が多いと思います。
その結果、とにかく強気に振る舞ってみたり、頑固に1つのことに固執してみたりすることでリーダーシップを表現しようとしてしまいがちですが、それはリーダーシップとは程遠く、かえって馬の信頼と敬意を失うだけです。

上司のように振る舞うことには慣れていない・・・と感じる方は、
少々先輩だったり、あるいは母親だったり、学校の先生だったりをイメージして、そこから始めてみると良いかもしれません。
特に、女性には、本来兼ね備えていない男性的なリーダーシップを発揮することは難しく、
中途半端にやってしまうとかえって馬に甘く見られてしまうことがあるので、確かに簡単ではありません。
女性は女性なりの工夫を持って、自分に無理のないリーダーシップの在り方を考えることも必要です。

もし自分の理想のリーダーがいるなら、その人をイメージし、真似してみるのも良い方法です。
私たちは、もし心から尊敬できるリーダーに出会ったら、誰に言われなくてもその人の指示に従いますし、
どこへ行くにもその人についてきたいと思うでしょう。
私たちも、最終的には馬とそのような関係を目指すのです。

このような関係ができれば、どんなことをしていても、馬はわたしたちが嫌がっていないか、
またどういう距離感で、どういう速さで歩いたらいいか、常にリラックスした状態で、自分から考えてくれるようになります。
この状態になると、何をするにも馬は常に私たちに危害を加えないよう、常に私たちの動きに注意を払い、
尊重した振る舞いを自分からしてくれるようになるので、馬の周りで何をするにも、安心して楽しく過ごすことができます。

 

 

うちでは、寝っ転がっている馬の上に乗っかったり、添い寝したり、裸馬にまたがって馬任せに散歩してみたり、海を一緒に泳いでみたり、あらゆることを自由に馬と楽しんでいます。
うっかり蹴られたり、踏まれたりしないか、振り落とされたりしないか、冷や冷やしながら遊ぶ必要はありません。
ですが、この関係性は、きちんと信頼関係をつくることを、日ごろからやっているスタッフだからできることであって、
誰にでも体験させてあげられるものではありません。
そのように親密な付き合い方にあこがれる人ほど、相手がどんな馬であってもしっかりとした信頼を築けるように、
自分のリーダーシップ力を磨く、地道な努力が必要だと感じています。

当然といえば当然のことですが、どんなに優しい馬でも、
全くどんな人かわからない、初対面の人に自分の全てを許して接してくれるわけではないでしょう。
ですが、このような接し方のルールというのは非常にシンプルで身に着けてしまえば意外と難しくないもので、
どこに行っても一瞬で、馬が「あ、この人はルールや意思表示が明確で、何をしてほしいのかがわかりやすい。感情的でなく冷静で、従いやすく、信頼できそうな人だ」と直感で感じてもらえるようになれば、どこでも、どんな馬でもすぐに仲良くなることができます。

というわけで、3回にわたって馬との関係作りについて書いてきましたが、よりくわしく学びたい方は、グラウンドワークのレッスンなどに積極的に参加して、実際に馬とのやり取りを通じて学ぶのが一番良いと思います。

(最近は、グラウンドワークやホースマンシップについてのいろいろな資料もネットなどに載っていますね)

 

ちなみに私のおすすめは、英文ですが、こちらの本です。

How to speak Horse
図や写真が多くわかりやすいだけでなく、先生として教えてくれるのは何と小さな女の子なので、

「こんな子供でも馬のリーダーになれるのなら、私にもできるはずだ」という自信を与えてくれる本です。

ぜひ、この記事も多くの人が良いリーダーになって、今よりもさらに一歩前進した素晴らしい関係を馬と楽しんでもらうきっかけになればと思います(^^)

 

posted by ちか | 18:47 | 波ん馬コラム | comments(3) | trackbacks(0) |
馬に言うことを聞いてもらう必要がある理由。
このテーマは私も今なお勉強中のテーマですが、
あえて自分で整理のためにも書いてみたいと思います。

今回、「馬に言うことをきいてもらう」というお話なのですが、
案外、馬が好きな方の中には、馬という存在そのものに喜びを感じているので、
必ずしも言うことを聞かせる必要性を感じない、という方も多いように感じます。
 
たしかに、馬も意思を持った生き物ですから、必ずしも人間の指示に協力的なときばかりではないでしょう。
ですが、馬と接する私たちには、可能な限り、馬に私たち人間の指示に従うよう求める必要があります。
それで、今回は「言うことを聞いてもらう必要があるのはなぜなのか」という点から考えてみたいと思います。

 
「馬に対しては上下関係が大切です」
「馬に対してリーダシップを取らなければいけません」
乗馬を始めてある程度経ってくると、一度ならず聞いたことがあるであろうこのフレーズですが、
実際自分が実践するとなると、かなり消極的になってしまったり、ついつい受け身になってしまう人が多いのが、このテーマかもしれません。
少なくとも、私が見てきたお客様の多く(特に女性)が、馬に対してリーダーシップを取ることに対して、非常に消極的です。
そんな方(私も本当はそう感じている一人なのですが)は、
この機会にぜひこの記事を読んで、一緒にもう一度よく考えてみてほしいと思います。

 
「必ずしも言うことを聞かせる必要性を感じない」という方は、多くの場合馬に乗ることについてもさほど拘ることなく、そばに居るだけで満足であったり、
馬に何かしてほしい、というより、お手入れなど馬の喜ぶことをしてあげたい、という欲求のほうが強いようです。
また、わかっていてもなかなか実践できないのは、
馬という大きい動物を相手にいざとなると自分が少し萎縮してしまったり、
あるいは逆に、「人間の言うことには必ず従わなければいけない」という考え方が、人間の一方的な押し付けや、エゴのようにも感じられるからかもしれません。
 
もちろん馬を従わせようという人の中に、自分の自己満足や欲求を満たすために服従を求めようとする人がいないわけではないかもしれませんが、
ここにはもっともっと深い理由が存在しています。

 
その理由の1つが、社会性の高い動物である馬は、どうしても自分の仲間に対し、優劣のランクをつけて接することが本能的に備わっており、そのなかで自分が上位にならなければ、相手からのリスペクト(尊重)を得るのは難しいということです。
(仔馬だけは唯一、このルールから免除されています)
馬からのリスペクトがなくても、一緒に仲良くしていることはできます。
ですが、その場合、私たちは相手の馬にいつ何をされるかわからない、ということを覚悟しなければいけません。
つまり、私たちの安全を保障してはくれないので、自分の安全は自分で守らなければいけない、という意味です。
物事を決める権利は相手の馬のほうにあり、私たちはそれに従わなくてはいけません。

一方、ひとたび馬からリスペクトを得ると、ほとんどのことは馬のほうが気遣ってくれるようになり、私たちはとても楽に一緒に居ることができるようになります。
引き馬していても、馬が突然草を食べようとして反対方向にグイグイ引っ張っていくことはなくなりますし、
寝ている馬のそばにそっと座っても、私たちを押し倒していきなり立ち上がったりすることはないでしょう。
ですから、「別に馬に乗ることにこだわらず、ただ馬と仲良く平和に過ごしたい」という人こそ、
しっかりとした信頼に基づく上下関係を作ることが一番の近道
なのです。

 
例えば、もし自分の大好きな馬が、リードをつけないでも自分の後ろについてきてくれたら、最高に嬉しいですね。
ニンジンを持って歩けば、確かに誰でもついて来させることはできるかもしれません。
ですが、やってみればすぐわかることですが、餌で釣られた馬は決して私たちに興味があってついてきているわけではないので、
私たちの手から強引にニンジンを奪い取ろうとするだけです。
これでは、「わたしたちについてきている」のではなく、「ニンジンについてきている」だけですね。
本当の意味で馬がリードなしでわたしたちについてきてくれるとしたら、その唯一の方法が「リスペクト」なのです。
 
こればかりは、馬が生きやすいように何千年も前から備わっている能力ですから、現実として、馬と接する人全てが受け入れなければいけません。
前の記事で書いた通り、犬の場合は人間が必ずしも優位にならなくても、飼い主さえ我慢すればどうにかなる場合もあります。
(ただしこの場合、犬はリーダーがいないことで常に非常に強いストレスを感じながら生きることになるので、本当はやはりおすすめしませんが)
ですが、馬の場合はそうはいきません。
 
なぜなら、馬がもし小さなポニーだったとしても、「自分が人間よりも強い」と自覚してしまうことで、
悪気がなくても些細なことで人間を怪我させてしまったり、何らかの大きな迷惑をかけてしまったりするだけの、強い力を持っているからです。

多くの動物は、ほかの種の動物との距離感を尊重し、必要以上に近づきません。
なので、嫌なら適度に距離を空け、不快でなければ近くにいてもお互い干渉しない、といった具合に他種の動物と共存するわけですが、
人間に飼われる動物は、産まれたときから人間が身近にいるため同種の仲間と同等に考えているので、私たちは、馬にとっては「馬同等」の扱いで、
そのため状況によっては「馬語」で自分たちなりの主張やコミュニケーションをしてくる場合があります。

ですが、現実には、人間と馬は全ての面において同等なわけではありません。
例えば、親しみをこめたグルーミングの1つにしても、馬同士でふつうに行うグルーミングを私たち人間にしようものなら、
どんなに馬に悪気がなくても人間に怪我をさせてしまう場合があります。
片足でひょいっと払いのけてほんのちょっと脅かしたつもりが、人間を骨折させてしまうかもしれません。

そのため、「人間は同種のような仲間だけど、接し方は馬と同じであってはいけないのだよ」ということを、人間のほうが、早いうちから教えなくてはいけないのです。
馬はとても賢く理解力のある動物ですが、人間との違いを産まれつき知っているわけではないため、しっかりと上下関係や接し方の線引きを示す必要があります。
まさに、親しき中にも礼儀あり、です。

 
私たちは、「人間に対して興味がある(または好意がある)」=「人間に対して平和的で友好的である」と思い込んでしまうときがありますが、
興味を持ってくれることと相手を尊重した振る舞いをすることは、全く別の問題です。
生後半年の仔馬は、私たちのことが大好きになればなるほど、母馬に対するように、前足を高くあげて、とびかかってくることがあります。
馬同士であれば可愛いものですが、人間にやれば大惨事です。
このような可愛らしい仔馬でさえ、多くの場合体重は100キロを超え、本気で暴走したら屈強な大人でも抑えられません。
そんな馬たちが今、「優しくておとなしい」姿でわたしたちのそばにいてくれているのは、その馬たちが成長する過程で、人間を過小評価せずに自分たちのリーダーとして認識し、従順であることを幼少期にしっかりと教えた人たちがいるからです。
 
でも、小さいうちにどんなに良いしつけをしたとしても、もし私たちが馬より下位でいることに甘んじ、馬に好き放題させることを続ければ、
やがてまた新たな学習をし、段々とルールを守らない、身勝手な馬に変わっていってしまう可能性もあります。
もしそういう馬がいたとしても、そこに、悪意は全くありません。馬は馬のルールに従って生き、判断するだけの話です。

ですが人間と共に生活するうえで、人間を尊重し、危害を加えない、という基本的なルールを守れず、
人間を蹴ったり攻撃したりした馬は、最悪の場合殺処分されてしまう可能性もあります。
もしそれが馬自身のせいではなく、接する私たちの知識不足で、甘やかしてしまった結果だったとしても、です。

人間相手でも、社会があれば必ず相手を尊重するためのルールが存在します。
なのですが、動物相手になると、突然ルールも境界も設けず、相手の好き放題にさせてしまう人がいます。
「自分のことをそばに居させてくれるだけでありがたい」「近くにいることを許してもらえるだけで嬉しい」といった状態で、
完全に馬のほうが優位でルール無用な関係性になってしまっています。

私たち人間のそのような低姿勢な態度を受けて、馬が自分の優位性を誇示してきた場合でも、
「あらかわいい子ね」とまるでその意味を冷静に受け止めず、むしろそのような攻撃性さえ愛らしい、と感じて何も意思表示をしなかったら、
馬はそれでいいのだ、と思ってしまうかもしれません。
このような感情は馬を心から愛しているがゆえの多くに人に芽生えるごく普通の感情ではあるのですが、
もしこれが馬ではなく自分の子供だったら、多くの親はきちんと正さなくてはいけない、と感じるはずです。

こんなとき、私たちは冷静さを保ち、幻想の愛の世界から目を覚まして、
自分たちがこの馬たちにルールを示してやらなければ、彼らを不幸にしてしまうかもしれないのだということを、思い出さなければいけません。

 馬は繊細ですが、動物ですので私たち人間のような複雑な思考はありません。
「嬉しい」「怖い」「楽しい」「辛い」などの感情が、シンプルに行動に表れます。
私たちも、人間本位の考え方を捨て、馬の行動目線に立って、シンプルに馬を教えることが大切になってきます。

またこの逆で、馬の不従順な行動を、まるで馬が悪意のもとにやってるかのように言う人もいます。
そのようなネガティブな感情による捉え方は人間特有の擬人化した発想で、これもやはり馬から見た客観的な事実ではありません。
何年も馬に乗っている人でさえ、そういう人がいるのは、私はとても残念なことだと思います。

 
例えばよく、「馬にナメられている」と言います。
馬が、「人間をよく見て、意思表示の弱い人の言うことは軽視する」という行動が存在することは事実です。
 
ですが1つ間違ってはいけないことは、馬は、人間をバカにしようと思ってしているのではないということです。
動物の世界というのはそれがルールであり、意思表示をしないということは、
そのことについて、「私はあなたにおまかせします」と言っているのと同じことですので、馬に悪意があるわけではありません。
とりわけ日本人は特に意思表示が弱い人種で、特に「No」という拒絶の表現をすることが苦手のようです。
ですが、海外で暮らしたことのある方などは、日本人のように弱い伝え方では、海外ではほとんど言っていることに耳を傾けてもらえないことをよく知っています。
しっかりと意思を伝えないまま「聞いてくれない」とあきらめてしまう日本人は、
同じ人間同士でさえ意見を無視されてしまいがちなのですから、まして言葉を話せない動物にあやふやな態度を取っていれば、
やはり馬からも、そのように思われてしまいかねません。

そのようなわけで、馬に接する人はどんな人でも、その馬に対して最低限守るべきルールを示し、それを守り従うよう求める責任があります。
人間が信頼できる上位者になると、馬は何か困ったとき、心配なときに人間がどう判断するかを見て、
「人間が大丈夫と言っているから心配いらないんだ」と日々を安心して過ごすことができるようになりますし、人間がルールを示すことが、
大きさも考え方も異なる2つの種の違う生き物の、奇跡的な深い絆を可能にしているのです。

では、実際にリーダーとみなしてもらうには、どのようにふるまったらいいのでしょうか。
それには、主に、「スペース」と「ボーダーライン」の2つのルールを示してあげることです。
次の記事では、どのようにこのルールを示していけばいいのか、考えてみたいと思います。

 
posted by ちか | 10:12 | 波ん馬コラム | comments(0) | trackbacks(0) |
馬は人の意思を読み取れるか

ひさびさに、馬とのコミュニケーションについて、今回は3回にわたって書いてみたいと思います(^^)

 

さて、タイトルにもあるように、よく、動物に対して

「彼らは人間の考えていることをすべてわかっている」というような表現をする人がいます。
中には、「(馬や犬などの)動物は、言葉で言わなくても人間の思うことをテレパシーのように読み取ってくれる」
あるいは、人によっては馬などの一部の動物は、人間の持っていない何か超能力のような特殊な能力によって、人を癒すパワーを持っている、と感じている人もいます。

では、実際に馬にそのような能力はあるのでしょうか?

これについて、「そんな能力は全くありません」と言える根拠は存在しません。
ですが、私個人の考え方としては、いくつかの種類の動物を飼い接していると、
馬、犬、イルカなどの一部の人間に対して親和的な動物だけが、ほかの動物にくらべ、何か特別な能力を持っているとは思えません。

動物は基本的に、私たちが無意識に発している動きやジェスチャー、口調などから意思を読み取っているため、言葉を使わなくても私たちの考えをかなりの部分察することが可能です。

これは、私たち人間も、本当に相手の真意を知りたいと思ったとき、多くの人が普通に行っている行動です。
先日の米朝首脳会談が行われたとき、多くの人が2つの国の代表が何を考え、何をしようとしているのかに非常に強い関心を向けていました。
マスコミに向けて語られたことはほんのわずかで、実際に話し合われたことのほとんどは、当事者たちしか知りません。
このような状況で、マスコミは各代表の、ほんのわずかな表情、握手のタイミング、歩き方、かすかな変化を、同じ動画を何度も何度も繰り返しテレビで再生し、分析し、「こうではないか」と盛んに議論を交わしました。

言葉を持たない動物は、基本的にこの方法が日常的なコミュニケーションの主な手段となっているので、
別に言葉を持たないからといって、相手の心理を理解するのにさほど苦労はしません。
とはいえ、この方法も、思考の単純な動物同士なら十分ですが、
相手が人間のような複雑な思考をする生き物となると、さすがに正確に考えていることを全て読み取るのは困難です。

つまり、わたしたちが好意を持っていることを漠然と感じることは可能でも、
それより先のもっと複雑な人間的思考を正確に理解するのは難しいと思われます。

例えば、あまりにも落ち込んでいたり、怪我をしていたりする人間を、気遣うようなそぶりをする動物がいます。
動物によっては、観察力が鋭く、すぐに「あ、足が痛いみたいだな」「息が浅くて苦しそうだな」など、
具体的にどこが悪いのかまで察知してくれることもありますが、多くの場合、私たちが発している「苦しい」とか、「悲しい」といった全体的なエネルギーに反応して同調しているだけである場合がほとんどです。
それはテレパシーなどのような能力ではなく、高い観察力と相手の持つエネルギーを重視する動物の習性によるものです。

なので、どんな人間でも少し訓練すれば、同じような方法を習得し、動物とある程度のコミュニケーションをとることは可能です。

この動物の観察力を自分の都合のいいように過信してしまうと、
「私のことを理解してくれている」と思っていた馬が突如自分に噛みついてきたり、
「私はあなたのことを大好きなのよ」というオーラを全身から発したにもかかわらず拒絶されたり
(このような場合でも人によっては、その拒絶さえも愛らしいと感じて受け入れてしまうものですが)といった、
人間側からの一方的な愛情の押し付けのような現象が起きてしまうのです。

ですが、馬はあくまでも動物です。
彼らがどんなに知的で美しく見えても、私たち人間と同じような仕組みで物事を見たり考えたりしているわけではありません。
これは、「馬は動物だから下等な思考でしか物事を考えられない」という意味ではなく、
根本的に、物事を考える仕組みや物事の優先度が、人間とは全く違うシステムで生きているということです。

乗馬施設の馬であれば、日曜日は朝から入れ替わり立ち代わりひっきりなしにいろんな人がやってきて、
いつもは気にならないようなことも、ちょっとやめてほしい、と感じる日もあるかもしれません。
そんなとき、私たち人間から見ると「悪癖」と呼ばれる行動にふいに出る可能性は、ゼロではありません。
ですが、これは、もともと彼らの脳と思考のシステムが、そう反応するようにできているからです。
良い訓練を受けてきた馬は、多くの場合そう簡単に咬む、蹴るなどの行動に出るわけではありませんが、
この点で、わたしたちは馬に私たちの理想を完璧に要求することはできないかもしれません。
基本的には、馬が私たちの行動を、過度に不快に感じていないかを考える責任は、100%人間のほうにあります。

どんなに馬が家畜化されてから期間を経ていようとも、動物に備わっている野生の側面が、完全に消えることはありません。
本能というのは脳のなかでも最も中心部の、最も書き換えることが困難な部分にインプットされており、
万が一、自分の力で生きて行かなくてはいけない状況に直面したときに、
いつでもその潜在能力を使って、生き延びることができるようになっているのです。
それは、飛行機に備わっている緊急設備のようなものかもしれません。

そのため、どんなに家畜化されている動物でも、
そのスイッチを押せば、ちゃんと野性的な反応が起こるようになっているのです。
馬と親しい関係を築きたければ、私たちはどのような状況がそのスイッチを押し、
どのようにそれを止めればいいのか、その両方を知っていなくてはいけません。
そうすれば、誤って必要のないときにそのスイッチを押してしまうことは減りますし、
もし押してしまっても、どうやってもとに戻したらいいのかわかるのです。

そして、そのスイッチは、馬によって持っているものが微妙に変わります。
人間の子供に物事を教えるときでも、3兄弟がいれば3人ともみんな違う個性があるでしょう。
全員同じように教えても、できる子とできない子がいますね。
できない子を責めても、状況は良くなりません。
教え方を変えれば、その子でもできる場合もあります。

とはいえ、乗馬をする人の多くは、できる限り馬たちと、平和でかつ親密な関係を作りたいと願っているはずです。
できることなら、そんな野性スイッチを気にしながら接するのではなく、安心感を持ってのんびり接したいと、私も思います。

実際この野性のスイッチを反応しにくくすることは可能ですし、それにはきちんと方法があります。
そのために、まずは基本的な上下関係、つまり「人間の言っていることをきちんと聞いてもらう」という関係性をしっかり作る必要があります。
次の記事では、この上下関係が平和で親密な関係性のためになぜ必要なのか、考えてみたいと思います。

 

posted by ちか | 13:55 | 波ん馬コラム | comments(0) | trackbacks(0) |
馬について学びつづける理由。

「ちかさんは、ホントに馬のことについて勉強熱心ですよね。どうしてそんなに頑張れるんですか?」
こんな質問を受けたことが、何度もあります。

質問を受けたそのときは、正直自分でも「なぜだろう」と思いました。

私はごく普通に自分の興味に基づいて勉強しているだけで、

自分が人より勉強熱心なほうだとはあまり思っていないのですが、
最近そう言われる理由について、答えが見つかったので、今日はそれを書いてみたいと思います。

馬と関わって生きるようになるまで、
私にとっての身近な動物は、犬や猫ぐらいのものでした。
彼らは家畜とは違い、基本的にただそこに居るだけで意味があり、特に手に負えない大きな問題がない限り、

多くの飼い主は、死ぬまでペットである彼らを飼養できます。

ですが馬と出会って、

馬が大きく、力の強い生き物であるがゆえに、
そしてペット、という立ち位置と、家畜、という立ち位置の狭間に存在するがゆえに、
犬や猫なら問題にならないような、ほんの些細な問題が、

彼らの人生では生きるか、死ぬかを左右すると言うことを知りました。

たとえば、お散歩中に飼い主をグイグイ引っ張っている犬を見かけることがあります。

が、それだけで犬が保健所に連れていかれることはまずほとんど、ありません。

一方馬は、といえば、

引き馬の訓練ができておらず、人間を引きずっていこうとする馬はやがて飼い主の手に負えなくなり、

世話ができないという理由で小屋に閉じ込められ、結果として足を悪くしたりして、病気になってしまうかもしれません。

 

小型犬なら、飼い主に遊びたくて飛びかかったところで、まぁ、かわいい子ね、で済まされますが、

馬がそんなことをしようものなら、どんなに馬に悪気がなかったとしても、
とんでもない荒馬のように言われてしまうことでしょう。

また、丸々と太っている犬や猫も、多くの場合それだけですぐに病気には至りませんが、
繊細なバランスを保って生きている、草食動物である馬は、体重管理をほんの少し誤るだけで、簡単に関節を痛めたり、骨や腱を痛めて歩けなくなり、そのまま命に係わる深刻な状況に陥ってしまうこともあります。

当然ながら、これは全て、馬が悪いのではありません。
正しい馬の管理や訓練を学ばないまま馬に携わる人間が悪いのです。
 

同じように、それが接する人間が馬への知識不足であっても、馬をトレーニングする人間側の技術不足であっても、

最終的にその結果を受けるのは、いつも馬だけです。
 

これは、動物を飼う以上、私たちが馬について、「知らなかった」では済まされないことなのだ、ということを物語っています。

もちろん、馬と働くうえで、最初から皆完璧ではありません。

知らないこともたくさんあるし、いろいろな失敗の上に学んでいってやっと、

本当のプロのホースマンになれますので、やむを得ないこともたくさんあります。

 

ですが、自分の至らなさゆえに大事にしていた馬が悲しい末路になるのは、耐えがたいものです。

そうなるまえに、1つでも馬について、多くのことを学んでおけば、そのような辛い思いをせずに済むかもしれないのです。
 

 

実際、もし正しい知識などがあったとしても、それでもなおどうにもできない状況というのはたくさんあるわけで、

それを受け入れるとき、「自分は本当に自分のできることを全部やれたのか?」この問いに、

自分のできるだけのことを全てやった、と心から言える自分でありたいがために、

私自身はずっと学び続けているのだと思います。
 

 

本当に、その動物のためを思う、というのはどういうことなのか。

自分がそばにいてほしいから、自分のそばに置いておく、というのであれば、

終生自分のそばに置いておくということであり、途中で飼えなくなった、というのは、都合の良すぎる話です。

 

ですが、馬ほどの寿命の長い大型動物ともなると、どんなに最後まで飼養したくても、

やむを得ず飼えなくなってしまうこともあるわけで、

そうなったときにその馬を貰ってくれる人はいるのか?ということを私たちは常に考えなくてはいけません。
 

 

その時のために、私たちは今自分たちにとって必要な最低限の訓練だけでなく、

1つでも多くのことを教えてあげることが大切になってくるのです。

 

自分が1つでも多くのことを知っていて、多くのことができるのであれば、

それによって誰か1頭でも幸せに生きられるかもしれません。
 

実際、そうすることで、よそで「手に負えなくなった」馬だろうと、「問題がある」と言われる馬だろうと、

(自分の訓練・管理技術をもってすれば、この子なら矯正してあげられるな)とか、

(この子ぐらいの問題なら私の力でどうにかできる)というように、

1頭でも不幸な運命から馬を救うことができるようになってきました。
 

 

そのため、このように時間を割きブログに書くのは、

そうやって自分が得た情報を、同じように必要としている人がほかにもいるかもしれない、と考えているからです。

読む方によってはどうでもいい話ですが、

必要な人1人でも2人でも、その方の役に立つことができれば、それだけで書いている意味があります。

 

このブログをご覧になっている方で、馬を飼う人(プロも含め)に知ってほしいのは、

「学ぶこと」と「謙虚であること」をいつまでも忘れないでほしいということです。

それは、自分のためではなく、馬のためです。
 

「馬が」いうことを聞かない、「馬が」わがままだ、「馬が」・・・

もし自分が、馬についての知識が浅い人間に、そう言われる馬の立場だったら、どう思うでしょうか。
 

 

私は自分が馬について、「もう十分知っている」と言える日は、まだまだはるか先であろうことだけは知っています。

馬や犬など、自分の飼う生き物について自分の問題を誰かに指摘されたとき、

親切で言ってくれている方の助言を受け入れることもなく、
「わかっているよ、今はそうしようと思っていないだけだから」

「私はこれでいいと思っているから・・・」

「やってるんだけど○○ちゃんがこういう子なの・・・」と言う人がいますが、

そういう方は、万が一、自分がその動物を飼えなくなったり、急にいなくなったときのことまで考えているのだろうか、と感じます。

今がうまくいき、楽しければいい、という考え方は、動物を飼う人間として、賢明とは思えません。
 

 

これについては、私自身も、馬について未熟であったときに一瞬そのように考えたことがあったので、気持ちはよくわかります。

ですがその際私はすぐに自分に原因があることに気づき、正すことができました。

そのようなとき私たちは、「自分はちゃんとやっている」「私は誰よりもこの子のことを理解しているのだ」という思いのあまり、

原因をほかの誰かのせいにしてしまいがちです。

 

ですが、それはその動物と、私たち飼い主の間の問題であり、ほかの誰の問題でもありません

(これは私個人の意見ではなく、馬や犬の世界的なトレーナーの方の多くの方がそう言っています)
 

飼い主が自分の主観から離れることができないとき、

結果としてそれが悪気があるないにかかわらず、動物を苦しめる結果に繋がりかねないことを、

私たちはよく気を付けなければいけません。

 

動物と関わるからには、どんなに初心者だろうと、動物に、「この人と出会ってよかった」と感じてもらいたいはずです。

私たちは、種が違っても理解し合うことができますし、特に知能の高い人間は、そのような努力をすることが可能な生き物です。

この点で、動物は驚くほど、人間を理解しようとすることに協力的です。

私たちも、あとほんの少し努力するだけで、動物の未来が変わるかもしれません。
 

 

そのため、私もこれからも自分の時間が許す限り、自分の関わる動物たちについて学び続けていきたいと思っています。

そして、自分の学んだ情報を誰かと共有できる機会を、これからも模索していきたいと思います!

 

 

 

 

 

posted by ちか | 18:25 | 波ん馬コラム | comments(0) | trackbacks(0) |
訓練の基本 その2。

さて、今回は前回の続きですが、

前回は、「教える側が事前に教える要素をバラバラに分解し、学ぶのに必要な順序に並べ替える」作業が準備段階として必須である、ということを書きました。


ある程度教える過程のプログラムが整理できたら、早速段階ごとに教えていくわけですが、
今回は実際の教える場面で気を付けなければいけないポイントを説明していきたいと思います。

(ちなみに、この内容はイルカのトレーニングなどで使われる行動分析学の手法を具体的に解説したものです)

まず1つ目のポイントは、必ず分解した要素は、一度に1つずつ教えることです。
2つ以上の要素を同時に教えてしまうと、どちらもきちんと身につかない、ということになりかねません。


この動画は、引き馬までしかできなかった6歳の牡馬、ちびまる君のトレーニングの様子です。

初めて人を乗せる段階から、左右両手前の連続した常歩と速歩運動ができるようになるまで、全ての段階を分けて練習し、

1回15分~20分のトレーニングを計12,13回程度でここまでできるようになりました。

1回のレッスン時間が非常に短いのもポイントです。

 

人間の話もそうですが、だらだらと長く続く話よりも、シンプルで的を得た格言のほうが、強く印象に残り高い学習効果が得られるのと同じで、長引くトレーニングは要点をぼやけさせるだけで、非効率的です。

また短い時間で終われば、どんなに忙しいときでもわずかな空き時間で、毎日訓練ができます。
 

この際、「それでいいんだよ」「いや、それは違うよ」といったように、

こちらの指示したことに対する動物の反応に対し、正解の行動を教えていくのですが、

2つ目のポイントは、このときに間違った行動は原則スルーして、正解を出したときだけ褒める、ということです。
 

ですが、このちびまる君は6歳の去勢していない牡馬ということもあって、

自我がでてきたのか、7回目前後から反抗的になり、要求の意味を理解したうえで、途中で走るのを拒否し、立ち上がろうとすることがありました。

そのように看過できないような間違った行動については、修正するという作業も必要になってくる場合があります。

ですが、この時に叱ったり、罰を与えたりするのではなく、どうすればいいのかを常に提示していくことが大切です。
動物は、人間のように物事を振り返って反省したりはしません。今目の前で起こることに、常にその都度行動を選択しています。
なので、やってしまったことを罰したり叱ったりしても、次の行動にそれが反映されるとは限らないのです。
それよりも、私たちが馬の行動の傾向を把握し、望ましくない行動が予測される際に、あらかじめその行動がしにくい環境を作ってあげるほうがスムーズなのです。

この動画でやや前傾で乗っているのは、立ち上がりにくくするために少し前に重心をかけて乗っているためです。
このように、原則は間違った行動はしにくいように、正しい行動をしやすいように、私たちが周囲の環境を調整し、
自然と正しい行動に促されやすい環境を作ってあげます。
 

ちびまる君は5回目ぐらいまでは順調だったのですが、6,7レッスン目ぐらいで反抗行動が見られるようになったため、

8回目以降から矯正をしはじめました。

その際、3つ目のポイントは、きちんと反抗せずに指示に従うことができたら、練習開始からわずか10分だったとしても、

完璧にできた時点でレッスンを切り上げるということです。
これを繰り返した結果、動画の10回目のレッスンでは、まったく反抗しなくなりました。
このように、新しいことを教える最初のレッスンの時期は、必ずうまくできたらすぐに切り上げます。

4つ目のポイントは、セッションは必ず1つずつ時間的な区切りを入れ、連続して行わないことです。
まずは1回目でしっかりと褒め、同じことを1,2回繰り返すことができていれば、それは「理解した」ということにします。
もしそれが偶然できたのだとしても、です。

私たちは、本当にできているのか、ちゃんと理解しているのか心配になったり、もっとうまくできるのではないかと期待したりして、何度も繰り返したくなることがありますが、あまり繰り返すとむしろ逆効果な場合があるのです。

なぜなら、同じことを繰り返すと、動物はいつまでたっても達成感を得ることができませんし、
それが上手く出来ているから続けているのか、それとも要求に答えられていないから続けているのかがわからなくなり、

途中で違ったことを試そうとしたりしてくる場合があるからです。


仮に、もし理解が十分でなかったり、動物が私たちの意図したことと違う理解でその行動をしていたのだとしても、
少なくともその行動が正解であることには変わりないのですから、まずは正解したのだ、ということをしっかりと伝え、その時点で1つ「完了した」ことを理解させることが大切です。

もし途中で上手くいかなくなってしまってから、しつこく「そうじゃないよ〜!」と繰り返すと、どんどん状況は悪くなってしまうことがあります。

乗馬業界では、調教などの際に「最後は必ず成功した状態で終わらせる」よういわれることが多々あり、
実際それが正しいのですが、かといって、切り上げるタイミングを逃してしまい、
ベストの状態で終えるタイミングを見失ってしまった場合は、
それまで出来ていたことができなくなってきてしまう前に、一刻も早く切り上げる
べきです。

このあたりの加減が難しいところなのですが、ここは経験や慣れが必要な部分かもしれません。
ちなみに私は以前、ここで欲を出して、「もっとうまくできるはずだ!」と馬にさらに上のレベルを要求してしまった結果、
大惨事になってしまったことが何度かありました・・・(^^;)

競馬などの場合や体力づくりなどの場合は別ですが、学習、というステップに限っては
次の学習への意欲を持続するためにも、「もうちょっとやっても良かったな」と、
学ぶ本人が少し物足りなく感じるぐらいがベストです。
 

ちゃんと覚えたな、ということが確認できたあと、後日必要に応じて少し反復練習を入れていきます。

ですが、例えばAを教えたあとにBの学習をする場合、通常は必ずAのおさらいをしてからBを始めるのが通常ですから、

反復練習というのは結果的に毎回することになるので、それほど熱心にやる必要はない、というのが正直なところです。

それよりも、学んだことをしっかりと定着させたいのであれば、

1回の学習のあとに少し時間をおき、できるだけ短期間にもう一度短い復習をするとか、
各レッスンの間にあまり日にちを空けすぎない、などのほうが意味があります。


同じ時間内での反復練習というのは、物事を覚える場合というよりも、

筋肉の強化であったり持久力の強化、集中力の強化、などの場合に必要になってきます。

これらの訓練は、初期段階の「学習」と同時に実施することはできません
しっかりと学習が定着したのちに、少しずつ時間を伸ばして強化していくのが良いでしょう。

中には、先の動画のちびまる君のように、学習の途中で学習が後退してしまったり、悪い癖が出てきてしまったりする場合があります。
その際は、5つ目のポイントとして、決してイライラしたり焦ったりせずに、必ず少し前の簡単な段階に戻り、できることを多く練習しましょう。
うまく出来ていないのに次に無理矢理進めるのは良くありませんが、
できないからといって、同じことをぐるぐる延々と続けるのもストレスになります。
その際、気分転換になりそうな、あまり難しくない違うプログラムを入れる、といったような工夫も必要になってくるかもしれません。
例えば、乗り調教で行き詰っていたら、途中で少し調馬索やグラウンドワークを入れる、などです。

そして、少しリフレッシュしてから再挑戦しますが、このとき、前回の上手くいかなかったときとまったく同じ方法で再チャレンジしても、やはり同じように失敗してしまうおそれがありますので、6つ目のポイントとしては、再チャレンジの際は、何でもいいから、自分なりに伝え方や教え方を変えてみましょう
問題が発生したときは、上手くいかない理由を「仮説」を立て、それに対する「対策」を考え、試した結果を見て、「検証」します。方法を変えても問題が改善しない場合は、また新たな仮説を立て、対策を練ります。
同じ方法をぐるぐると試しても、なかなか成功はしないかもしれません。

これを読んでいただいてわかる通り、訓練の過程は、教える人は常に頭をフル回転させ、いろんな可能性を考え、試行錯誤しなくてはいけません。
ドッグトレーナーのカレン・プライヤは、このことを「とてもクリエイティブな作業」と表現しています。
大変なことも多い仕事ですが、上手く出来たときの達成感や感動は素晴らしいものです。
「教える」という仕事は、「クリエイティブ」な仕事なのだ、という前向きな意識を持ってのぞめば、
途中でストレスやイライラを感じることがあっても、あきらめずに辛抱強く取り組むことができるのではないでしょうか。
 

波ん馬ではこのような基本を守って訓練できるよう、教える人間のほうのスキルを、時間をかけて訓練しています。
結果として、馬の訓練にかける時間は少なくて済み、長い目でみれば、人間にとっても馬にとっても良いからです。
教えるスキルは、私たちにとっても一生役に立つ財産です。

というわけで、今日は訓練の基本についてのお話でしたが、
こうやって言葉で覚えるのと実際やってみるのはやはり全く違うわけで、
実践にあたっては教える側の感覚を鍛える必要がありますので、やはり慣れや経験が必要なのは間違いありません。
ですが、逆にどんな問題も、慣れてしまえばそれほど難しいものではないので、
とにかく実践を1つ1つ積み重ねれば、必ずできるようになります。
ぜひ、自分が何かを教える際に、1つや2つ、思い出して実践してみていただければと思います(^^)


というわけで長くなりましたが、訓練に関する基本ルールについてでした!
 

posted by ちか | 16:59 | 馬の訓練・調教 | comments(0) | trackbacks(0) |
訓練の基本 その1。

さて、比較的時間に余裕のある2月までの冬の時期は、仔馬や新馬の訓練が山積みでした。
そんな訓練の様子から、今日は、動物の訓練についての、基本的なテクニックをご紹介したいと思います!

今回もかなり長くなりますが(笑)「言葉の通じない動物に、どうやっていろいろなことを教えるの?」というギモンをお持ちの方は、ぜひ読んでみていただきたいと思います。
 

 

私たちは殆ど自分の牧場で馬を生産、調教しているので、
オープン前を含む約10年ほどの間で、20頭近い馬を生まれたときから訓練してきました。
その間いろいろな試行錯誤や失敗の末に今のスタイルにたどり着いていますが、

最初のうちは、馬の優秀さに助けられていることもしばしばでした。

でも、そのような馬の忍耐力だったり、観察力の高さに頼った訓練ばかりしていると、どうしてもいつかは限界がきます。
人間もいつまでも体力があるわけではありませんし、
そのような訓練は、ほかより少し能力の低い馬を「落第生」にしてしまうおそれもあります。

ですが、馬はもともと人間を乗せたり人間の指示に従うためだけに産まれてきたわけではないわけですから、
馬ではなく私たち人間側が、馬の能力に関わらず、すべての馬が理解できるような訓練のスキルを身につけることが必須です。


教え方を学ぶ、ということは、波ん馬のスタッフの教育では、最も大切にしていることの1つです。
意外に、インストラクターと呼ばれるお仕事のほとんどは、
「教え方」というのは各自の自主性に任されていることが多いのではないかと思います。

もちろん、教える人の自主性や創意工夫は大切ですが、訓練や教育には、まず「基本のルール」というものがあります。
その基本のルールを知っていると知らないとでは、教わる側の理解しやすさが大きく変わります。
基本のルールを教えないばかりに、「わかりやすい先生」と「わかりづらい先生」が生まれてしまい、
利用する人にとっては当たりはずれが生まれ、「今日の先生はハズレだった」「理解しにくかった」「あの先生が良かったなぁ」となってしまうと、インストラクター自身にとっても悲劇です。
 

 

そうならないために、教える側のスキルをある程度の水準に保つということは大切です。
このルールを一度学べば、相手が動物であっても人間であっても、基本は全て同じです。
私たちは、馬をぐいぐい引きずって何かをさせる必要もなくなりますし、
怒鳴ったり、叩いたり(これは実は叩かれた馬よりも叩いた人間の手のほうがよっぽど痛いのですが)する必要もなくなります。
一般のご家庭でペットに何かを教えたい、などのときや、人間のお子さんにお勉強やスポーツをさせるときでも同じ原則なので、
ぜひ参考にしてみてください。

私たちが学校で学んだ時も実は同じなのですが、
教える、という行為は、漠然と最終目標にむかって、ただ進んでいるわけではないことをご存知でしょうか。

例えば、「足し算」を教えるとします。
まず、足し算を教えるには、最初に何が必要でしょうか?

まず、教わる生徒が、何を、どこまで知っているのか、ここを正確に把握しなければいけませんね。
これが実は、非常に重要なポイントです。

その生徒は、まず数を数えることができるだろうか?
数字を書くことは?

動物の訓練では、この段階で多くのことを見過ごしてしまいがちです。
たとえば、うちの犬は幼少期から「お手」と「おかわり」、「お座り」はとても上手にできたのですが、
実はわたしたちはこれを「言葉の号令」で覚えている、と思い込んでいたんですが、
じつは私たちの無意識の「ハンドサイン」つまり、ジェスチャーに反応しており、驚くことに言葉は殆ど覚えていなかったのです。
このように、動物相手になる場合は特に、「何を理解していて、何を理解していないのか」を的確に見極めることが大切です。

さて、スタート位置がわかったら、まず学ぶ内容を、単純な要素に全て分解していきます。
それから、すべてに先がけて、最初に学んでいないと次へ進めないものはどれか?
を考え、必要な順番に並べていきます。

先ほどの足し算で言うなら、例えば次のような要素に分解できるかもしれません。

・数を数える、という概念
・数字
・10進法
・「足す」という概念
・数式の記号と意味(+、=)

この分解作業は、じつはとても非常に重要な意味を持っています。
なぜなら、「数を数える」ことを知らない生徒に、いくら足し算の説明をしても意味がありません。
10進法を知らないと、2ケタを超える足し算の先に進むことはできませんね。
では、足し算を教えるのと、10進法を教えるの、どちらを先に教えるべきか?
先生は、こういったことを考えながら、学習のプログラムを組み立てていきます。

これを動物にあてはめて考えるなら、例えばこんなかんじになります。

例として、馬に調馬索(人間を中心に周りを円運動する訓練)を教えるとします。
その馬は、正しい引き馬をちゃんと理解しているでしょうか。
引き馬の際の号令の意味はどうでしょうか。
ここがいい加減なのに次へ進んでしまうと、途中でスランプが起こるかもしれません。

正しい引き馬ができているようであれば、今度はリーダーが馬の前だけでなく、

馬の横や、馬の少し後ろで歩いても、ちゃんと前に進んで歩けるでしょうか?
これができないと、馬はどこまでもリーダーを追いかけてきてしまうので、
リーダーを横に見て円運動、というポジションにもっていくことができません。
引き馬の際にリーダーが様々な位置に立ち、どのポジションでも前に進めるような訓練が必要かもしれません。

このように、「調馬索をする」という最終目標に対し、
どの段階から学ばないと先へ進めないのか?を分析し、細かい段階に分けていく作業がとても重要です。
どんなに複雑に思える学習でも、教えるときは必ず1つずつの要素に分けて説明し、習得していきます。

分解作業は、とても頭を使うので、人によっては大変面倒な作業に思えるかもしれません。
体を動かすほうが得意な人は、そんなまどろっこしいことはしていられない!なんていう人もいます。
ですがそういう方は、自分がそういう計画性のない先生に、一度教わってみるといいと思います。
計画性のない学習が、結果的にどれだけ無駄な時間や労力を必要とするか、

それによって受けるストレスがどれほどか、学ぶ側に立ってみて、初めてわかるものです。

学校教育というのは、すでにこの順序にそって教科書が作られており、
そのまま順を追って行けば、スムーズに学習できるようすでにカリキュラムが作られています。
ですが、動物を教えるときは、多くの場合教科書はありませんから、
まずは自分で教科書のようなものを作って手順をあらかじめ考え、組み立てておくことが必要となります。
行き当たりばったりで教えられるほど、訓練は単純ではありません。

計画性や順序のない学習も、やり方によっては途中まで、なんとなくできるかもしれませんが、
途中でいきなり想定外の壁にぶつかったり、急に嫌になってしまう場合があります。
本人だけでなく、先生までもが、「何がわからないのかがわからない」「どこからやり直したらいいのかわからない」
そうなってしまったときのストレスは、巨大な迷路の中で迷子になってしまったようなものです。




私たち教える人間が、なんとなく教えるのと、こうやってきちんと前もって訓練プログラムを立てて教えるのとでは、
学習に伴う時間がまったく異なり、人や動物の受けるストレスも大きく変わります。
ここで一度に2つ、3つの要素を同時に教えてしまったりすると、
教わる側が困惑し、学習を拒否したり意欲を失ったりしてしまう可能性もあります。

でも、一見面倒くさそうに思えるこの分解作業も最初だけ一度馴れてしまえば、

次からはだいたい同じ作業を繰り返すだけですので、

どんなに複雑に思える学習も、やがて難しく感じなくなります。
普段から計画を立てるのが好きな人にとっては、むしろ楽しい作業かもしれません。

 

何よりも、このようにきちんと計画のされた学習の大きなメリットは、

登りやすいように途中の階段がだいたい均等に配置されているようなもので、

いきなり途中で登れないような大きな段差にぶつかることがないのでトントン進み、

教える側も学ぶ側も、レッスン自体が楽しく、やりがいのあるものになるという点です。

では、実際馬の訓練にあたっては、どういうプロセスを踏んでいるのか、次回の記事で、より具体的な例を交えて解説していきたいと思います(^^)
 

posted by ちか | 18:52 | 馬の訓練・調教 | comments(0) | trackbacks(0) |
「繋牧(けいぼく)」という技術。

暖かくなったり、寒くなったりを繰り返す日々が続いていますが、
皆様体調など壊されていませんでしょうか?

波ん馬は馬もスタッフもみな風邪など一切ひかず元気に頑張っておりますが、
今の時期は馬のトレーニングなどで大忙しです。
今日は、昨年生まれた仔馬の初期訓練の中から、「繋牧」というテクニックについてお話してみたいと思います。

この八重山地方では、地面に杭を打って、その杭に馬をロープでつなぐ、

「繋牧(けいぼく)」というスタイルの管理方法があり、
八重山に来たことのある方は、一度はご覧になったことがあるかもしれません。
 

一見すると、繋がれている馬は自由を奪われた可哀想な状態に見える、という方もおられるかもしれません。

たしかに、ずっと毎日繋ぎっぱなしは運動が不可欠な馬にとっては、良い環境とは言えません。

ですが、なんでもやり方次第で、見た目のイメージだけで繋牧=馬に良くない、と決めつけてしまうのは、ちょっと性急です。

実際は放牧されている馬も、ずっと歩き回ったり走り回っているのかと言えばほとんどの時間帯がそうではなく、

ただぼーっと立っている時間が大半を占めているので、それ自体は、必ずしも不自然というわけではないのです。
ですので一日〜数日に1回、騎乗運動や外乗、放牧などに出してあげさえすれば、
繋牧という飼い方自体は、決して悪いものではありません。(ただし、炎天下などの気候の変化は注意が必要ですが)
 

 

夏場、雑草の成長がめまぐるしい沖縄では、この繋牧が大変便利で、
雑草を処理してほしい場所に馬を繋いでおくと、まるで草刈り機のように見事に無くしてくれるのでとてもありがたいのです。
ペットでポニーを飼っている方なども、「ここの雑草をきれいにしてもらえたらなぁ」と思うことはあるのでは?

一般的な乗馬クラブであれば、おそらく馬を係留したまま、ほんの数十分その場を離れるだけでも厳禁!
というところもあるかと思います。
(これが普通であり、常識なので、訓練していない馬にいきなり安易に繋牧は絶対しないでくださいね)

なぜかというと、殆どの馬が、自分の係留されているロープが足などに絡まったときに、外し方がわからずにパニックになり、
ひどい場合は足をロープで絞めつけて怪我をしてしまったり、パニックになって大暴れしたりする場合があるからです。
島内でも、個人で馬を飼われている方がしっかりと繋牧の馴致訓練をしないままいきなりロープで繋牧してしまった結果、
結果的に馬が足に怪我をしてしまう場合が時折あります。

そのため、ちゃんとした飼い方を知っている方からすれば、この繋牧されている風景を、

「なぜこんなことができるんだろう?馬たちは大丈夫なのだろうか?」
と思う方もいるかもしれません。
 

これは仔馬のときから段階的に、馴らす訓練が不可欠です。
幼少期、生後半年前後からその訓練ははじまります。
仔馬のときは馬は体が非常にやわらかく、足などが絡まっても怪我をしにくく、スムーズに外せることが多いので、
この時期にある程度の学習をしておけば、大人になってパニックになることもありません。

なので現実的に、子供の頃に訓練してこなかった馬に、
大人になってから教えるのは危険が伴い、あまりおすすめはしませんが、
基本的に仔馬であっても大人であっても、教える際には初期の段階では必ず人間が一時もそばを離れず、目の届くところで仕事をしながら馴らす、といった形で十分注意しながら行うのが大前提です。


ちなみに、ポニーやコブサイズぐらいまでの足の長くない馬は、比較的リスクも少ないので
個人などで飼っている方はぜひ訓練してみる価値があると思いますが、
軽種馬などの足の細くて長い馬は、ちょっとしたパニックでも怪我に繋がる恐れがありますので、気を付けましょう。

一番最初に行う練習は、無口の下にロープを1本垂らしたまま放牧する、という練習です。
この際、ずっと厩舎に閉じ込めていた馬を、いきなり広い場所に出す、などのような急激な環境の変化は禁物です。
まずちゃんと事前に運動によって余分なエネルギーを発散させてから行うことにより、不必要な事故を防ぐことができます。

このときは、草の生えている広いスペース(草が生えていない場合は、馬場などのスペース内に牧草をばらまきます。これによって馬が突発的に走り出すことを防ぎ、なおかつ草を食べるために顔を下げながら歩きますので、最初数回ロープを踏んだとしても、パニックになりにくくなります)
無口の下に取り付けるロープは最初は前足でぎりぎり踏める程度の長さにします。
これは無口をつけたまま放牧するので、必ず人間が見ていなければいけません。
(無口が何かに絡まって怪我などをすると危ないためです)
無口はしっかりと事前にフィッティングをし、サイズができるだけ緩すぎることのないよう気を付けます。
サイズの合っていない無口を使用して前足が無口に入ってしまったり、逆に無口を外すことを覚えてしまうと、繋牧そのものができなくなってしまう場合があります。

この時、馬は時折草を食べながら垂れたロープを誤って踏むことがありますが、
そのときに足を上げれば外せる、ということを学習させます。
何度か踏んで、驚いて足を上げれば成功ですが、最初のうちは前に進もうとしてつんのめってしまう危険もありますので、
万が一前足をあげられない場合はすぐ助けにいき、足を上げれば外せる、ということを教えてあげましょう。

それができるようになったら、ロープを長くし、今度は後ろ足でも踏める程度の長さにします。
いずれにしても、どこかの足で踏んでいることと、進めないことの因果関係に馬が気づけばOKです。

ほとんどの馬はここまでの過程はスムーズにこなせると思いますが、

ここまでの過程ですでにパニックになってしまう馬は、繋牧の訓練は向いていないのでおすすめできません。

ここまでの馴らしが完了したら、引き馬の訓練をしていない馬の場合はここから引き馬の訓練に入りますが、
引き馬がすでにできる馬の場合は、いよいよ繋牧開始です。
繋牧に使用するロープは、選び方も大切です。
だいたい10伉度からの太めのロープを使用します。
あまり細いと、万が一足に巻き付いてしまったときに、食い込んで怪我になりかねないからです。




一番最初の数か月は、ロープを20~25cm ごとの節状にカットした、塩ビパイプに通したものを使用して馴らします。
これで、足に巻き付いてもロープが三角になるので、足に巻きすぎて怪我を負う危険はありません。
塩ビパイプはロープに対しある程度ジャストの長さで、横にスライドして5cm以上隙間が開かないよう、両サイドを玉結びにしてパイプがあまりずれて動かないようにします。
長さもあまり長くせず、馬の馬格にもよりますが2mぐらいから始めて、繋牧する時間とロープの長さを少しずつ長くしていきます。



写真は、現在馴致中の5か月を超える仔馬たちです。
足がひっかかっていますが、まずは自分で上手く外せるか様子を見ます。
しばらくやって外せなさそうであれば、近くに行って外すのを手伝ってあげます。

繋牧は周囲に木や柵がない広い場所を選びます。
足元に草が生い茂っているところか、なければ足元に牧草を撒くのがおすすめです。
もし足が絡んだ場合、頭が上がっていると外れませんが、
足元の草を食べながら移動することで、常に頭が下がった状態でいられるので、外しやすくなります。
目の届く場所で1時間程度から始めて、2~3時間まではトラブルなくいられるようになれば、第一段階はクリアです。

その後十分に慣れたころから、少なくとも慣らし始めて1年間は、塩ビパイプをビニールホースに変え、ホースの中にロープを通したものを使用します。
ロープは、やわらかいほうが怪我をしにくいのでは?と思う方がいるかもしれませんが、
ロープやホース自体の素材は、できるだけ硬めの素材を使用します。
あまりしなやかで柔軟なロープはきれいに足に巻き付いてしまいやすいので、少しハリのある素材だと、ロープの弾力だけで自然に解けやすいからです。

この状態で1年問題なく繋牧ができれば、あとはビニールホースを外してロープのみで馴らしていきます。

写真ではロープ無口で実施していますが、沖縄の伝統頭絡のウムイはとても安全で、役に立ちます。
一般的な無口頭絡でも不可能ではないのですが、
ウムイは強く引っ張るとウムイが締まって痛いので、馬が一定以上引っ張らなくなるのですが、
無口の場合は引っ張っても痛くないので、馬が必要以上に引っ張りすぎて、
うなじに無口を食い込ませて傷を作ってしまったり、力づくで杭を引っこ抜いてしまう場合があるからです。

どうしても必要以上に強く引っ張ってしまう馬の場合は、無口のうなじ部分や鼻部分に怪我防止のためクッション性のある布などを巻きましょう。


一度キチンとなれた馬は、どんなロープを使用しようが、どんなに長時間放置しようが、まず絡まってもパニックになることはありません。落ち着いて自分で足を外すことができるようになります。
波ん馬の馬たちはこのスキルを全員習得しているので、
係留中に馬がパニックにならないかと気にしながら見守っている必要は全くありませんので、とても楽です。


これは、一度教えてしまえばいろんな場所でリスクが減るので、

例えば外乗で藪に入り込んでしまい、ツタが足に絡まってしまった、網やロープに引っかかってしまった、のようなアクシデントも馬が冷静に自分で対処できるようになるので、とても安心です。

 

もちろん、物事には想定外のことも起こりますので、この訓練をしたからといって過信は禁物ですが、
沖縄では一般的に、幼少期にちゃんと慣らされている馬はこの繋牧が原因で事故になることはまずほとんどいません。

上記の注意点さえ守れば、繋牧に危険が伴うことはほぼないでしょう。


というわけで、また長くなりましたが、今回は繋牧についてでした!



 

posted by ちか | 14:12 | 沖縄での馬の飼育管理 | comments(0) | trackbacks(0) |
動物とのコミュニケーション講座、開催!

昨年もいろいろと新しい試みをスタートした波ん馬ですが、
この新春1発目の企画として、馬を中心とした動物のふれあい&チャリティーイベントに、
フリマを同時開催とした、「うまっこ市」というイベントを開催することになりました!
開催されるのは1月28日(日) 10:00〜15:00となっています。






まずは1発目なので、とにかく無事成功してくれるよう頑張るのみですが、
石垣島マラソンやさんばしマーケット(15:00以降〜)などの他の大きなイベントも同日に開催されることもあって、
楽しみな反面、どの程度の方が足を運んでくださるか、不安もあります(^^;)
ですが、現在SNSなどを中心にPRした中では、みなさんかなり興味を持ってくださっているようなので、
ぜひお一人でも多くの方のお越しを、お待ちしています!

その中でも、今回ひっそりと、しかし一番オススメと言ってもよいのが、10:00から1時間ほど開催する、
「ペットとのコミュニケーション講座」です。

ペットのしつけ教室などは、島内でも時々開催されているかもしれませんが、
この講座は、「しつけ教室」とは違います。
この講座は、根本的な、コミュニケーションのについての考え方のお話です。

そう書くと、なんか具体的じゃないのかな?実践的じゃないのかな?と思われがちかもしれませんが、そんなことはありません。
8割は具体的な例を中心にお話していきます(^^)

※ちなみに、最近よくテレビなどで見かける、動物とテレパシーのような方式でコミュニケーションをとる、「アニマルコミュニケーター」とは全くの別物です(^^;) そういったスピリチュアルなお話ではなく、科学的、生物学的理論に基づくテクニックのお話です。

このお話は、昨年からスタッフを対象に、
馬の訓練の教え方の勉強として話した研修プログラム(詳しくはこちらの記事をご覧ください)が、
スタッフから「とてもわかりやすく勉強になる」「いろんな人にこの方法を知ってほしい」と好評だったので、
1年かけて、ペットなどに応用できるよう、さらに勉強を重ね、試行錯誤を繰り返し、
できるだけシンプルに要点を、45分にぎゅっとまとめたものです。
元は馬のために勉強した動物の心理学ですが、全ての動物から人間まで応用が可能な、大変実践的な内容です。

例えば、通常のしつけ教室であれば、
「吠えるのをやめないワンちゃん、どうしたらいいの?」
「散歩のときに言うことを聞いてくれないワンちゃん、どうしたいいの?」
などの1つの問題につきそれぞれ1つの解決策を学び、覚えなくてはいけません。

ですが、この「考え方」を1つ身に着ければ、かなりの問題に自力で対処できる力が身につきます。
さすがに1回たった45分の講座なので、もちろんあらゆる問題にこの講座で学んだ内容だけで全て対応できるわけではないのですが、
それでも、何をしてあげればいいのかで悩むことはかなり減るでしょう。

今回の講座を開くにあたって、私は同様の内容の講座が全国で開かれているか、ネットで調べられる範囲で検索してみたのですが、
探してみると、なんと、殆どありませんでした。
そして開催されているものは、当然ながら全て有料の、
ある程度本格的に学びたい方のための数日、あるいは丸一日のロングプログラムばかり。

ですが、私は今回お話するような知識を、本格的にドッグトレーナーを目指したい人や、
専門的な勉強をすることをいとわない、ごく一部の学び好きの方だけのものとしておくのは、勿体ないと思っています。

「忙しくてあまりペットのために勉強する時間は取れないけど、あと少し何かいい方法があったら・・・」
「何か本格的に勉強したいというよりは、今自分の目の前にいる、この子との関係にちょっと役に立てばそれでいい」
そんな「多数派」の人たちにこそ、知ってほしい。

そのためには、できるだけとっつきやすく、専門用語などを使わずに、
可能な限り簡潔に説明しなければいけない、と思いました。

確かに、本来は数時間ちゃんと勉強すべき内容ですが、
とことんまで要点に絞り、まずは「こういう方法があるんだよ」という、
みなさんに知っていただけるきっかけになれば、と思います。
もちろん、興味のある方が多ければ、今後もより詳しく知りたい方には、発展的な講座を検討していますので、
まずは今回の講座に、できるだけいろんな方にご参加いただければ、と思っています(^^)
しかも、今回の講座は初回なので、まぁみなさんにまずは試しに一度聞いてもらいたい!という気持ちから、
無料での開催となっています。
今後無料で開催するかどうかはわかりませんので、ぜひこのチャンスをお見逃しなく・・・★


お申込みは、こちらのURLからご連絡先と、事前アンケートをお送りいただければOkです。
https://goo.gl/forms/vHZ3Gq2EzfBzJERF3

それでは、一人でも多くの方のご参加をお待ちしています〜♪





 

posted by ちか | 14:20 | イベント | comments(0) | trackbacks(0) |